09 25 2010 by Akemi
人生の目標設定
前回の記事からずいぶん間があいてしまってすみません。
で、前回に予告した、目標設定の話をするのに、ちょうどいい時のような気がします。これまで、人生を旅にたとえて、宿命と自由意志の役割を説明してきたわけですが、それでは宿命に対して自分で設定する目標については、アカシックレコードの立場から見ると、どうなんでしょうか?
自己啓発や成功哲学では、目標設定に関して、「大志を抱け」「目標を高く設定するからこそ成功する」といいますが、本当でしょうか。どんな高望みをしてもいいのでしょうか。例えば、首相とか宇宙飛行士とかになりたい、という目標を設定すれば、それが実現するのでしょうか。
答えは、イエスとノーの両方です。現在宇宙飛行士をしている人は、人生のどこかで「宇宙飛行士になろう!」と決意したはずで、そういう意味では目標設定はそれを実現させる大切なステップです。でも、宇宙飛行士になろうという目標設定をした人全員が飛行士になるわけではないーーこれはどうしてでしょう?
私たちは、生まれてくる前に、人生の大体の計画を立てます。これは、旅行の計画と同じで、例えば、「東京を出発して、まず京都に向かって、平安神宮と清水寺は絶対見て、できれば金閣寺も見たいな。それから奈良と大和を歩き回って、できれば自分で遺跡の探索をしたい。」
問題は、生まれてくる時に、この計画のほとんどを忘れてしまうことです。意識の奥にあるんだけれど、はっきりとは思い出せない。それで、あれこれと試行錯誤したり、まわりの人についていったりするわけです。
でも、自分を魂として理解している人は、比較的早く本来のコースを思い出します。試行錯誤の中で、間違って東北行きの電車に乗ってしまっても、すぐに気がついて方向修正をします。あるいは、まわりの人のほとんどが「旅行に行くなら、何たってハワイよね!」なんていっていても、流されずに、自分は古都の歴史的な建物に興味があるんだ、となんとなくでもわかっているものです。
ところが、自分を体や頭脳(および頭脳のする思考)だと思っている人は、元々の計画があったことをすっかり忘れているので、自分には向いていない方に行ってしまう。で、青森についてからやっと「あれ?ここって、私が本当に来たいと思っていたところかしら。なんかピンとこないんだけど」なんてことになる。別に青森が旅行の目的地として、京都に劣るわけではないのです。その人に行くはずだったところではない、というだけで。
魂としての自分の声をすっかり忘れてしまっている人の場合、もっとひどいことになります。つまり、まわりの人に左右されて、自分とはまるでかけ離れた目標設定をしてしまうのです。目標を高く設定しなさいといわれて、車でハワイに向かうようなことです。それは、無理です。
本来、自分のコース以外の目標には、興味を持たないものです。つまり、かなう夢だからこそ心に宿るのです。
宇宙飛行士になることが魂の計画にある人にとって、それは少しも高望みではありません。むしろごく自然なことです。まわりが「そんな高望みをしないでも」なんていって押さえつけることの方が問題です。
一方、宇宙飛行士になることが魂の計画にない人にとって、いくら高い目標を設定することがいいからといって、それはまるで無意味で、疲れるだけです。また、親や教師等のまわりの大人が、自分の果たせなかった夢を子どもに押し付けるのは、本当に迷惑で非生産的です。どんなに押し付けても、向いていなければ成功はしないのですから。
忙しい現代社会では大変でしょうが、意識的にのんびりする時間を取って、自分の直感はどちらに向かうことを望んでいるのか、静かに耳を傾けてみてください。
次回は、魂と体の関係、心とは何か、を根本的に見直してみたいと思います。日本語では、このへんややこしいんですよねー。